2015年6月10日水曜日

東小金井の牡蠣と伊勢海老、白子と弁当

 これは海外の話ではないのだが、思い出したので一応書いておこうと思う。
 このお話には重大な教訓が含まれているからだ。
 その年、僕は三鷹の大学に入学した。三回目のチャレンジでようやく受かったので感慨はひとしおだった。
 僕たちの大学は三鷹の片隅に広大なキャンパスを構える、まるで外資系のような大学だ。構内の公用語は日本語と英語のみ、最初の一年は狂ったように英語を勉強する。実際、これが原因で狂う奴も年に数人出る。
 だが僕はようやく行きたかった大学に受かった開放感で一気にタガが外れ、毎日遊び惚けていた。無論そんなアホな学生は僕一人ではなく、すぐに僕は悪友数人と連んで夜な夜な遊び歩くようになった。
 もっとも、遊び歩いていたとは言っても所詮は武蔵野の片隅だ。大学一年生にはお金がない。行くのは定食屋かチンケな居酒屋、あるいは友達の下宿と決まっていた。九月に入学してくる帰国子女や留学生たちは六本木に遊びに行ったりもしていたようだが、僕たちにとって吉祥寺から向こうは世界の果てだ。大学のある武蔵野台地は巨大な亀の上に乗った大きな四頭の象に支えられ、吉祥寺から先には大きな滝があると僕たちは固く信じていた。
 そんなこんなですっかり馬鹿になってしまった翌年の一月の事、僕たちはアメリカンフットボール同好会のJに飲みに行かないかと誘われた。
「田舎から友達が遊びに来てるんだ。一緒に飲まない?」
 嫌な訳がない。Jはとてもナイスな奴だったし、彼の友達だったら歓待しないわけにはいかない。まだ携帯電話がない時代だったから、僕たちは自転車であっちこっち飛び回って参加者をかき集めた。
「でもさ、あんまり金ないんだよね」
 Jは心配そうに僕たちに言った。
「大丈夫、そういう時は東小金井のS(いろいろ危ないので名前は伏せる。理由はすぐに判る)って店がいい。あそこは安いよ」
 福島出身のOが言った。
「あそこ、危ないって話じゃん」
「十回中九回は大丈夫だって聞いたよ」
「ま、火が通ったものだけ食べよう」
 その店は、ほとんどバラックのような外観の店だった。一階はテーブル席、二階が座敷。売りは魚料理だが、焼き鳥もある。
 自転車で集合した僕たち五人は二階の座敷に通されると、安物のちゃぶ台を二つ繋げてつくった席を囲んで座った。
 Jの友達だというKは、真面目そうな青年だった。モヒカン刈りの側面に頭文字のJと残し、髪をピンク色に染めている北斗の拳の悪役のようなJと接点があるとはとても思えない。
「K君はなんでこんな時期に東京に来たの?」
「受験なんです」
 K君が言うには、ホテルに泊まると言って親から余計にお金を貰い、Jの家に泊めてもらうことで小銭を浮かせたのだという。
「へえ、次はいつ?」
「明後日が上智、そのまた翌日が慶応」
「僕たちの大学は受けないの?」
「俺、知能テストは苦手だから。あんな特殊な入試は無理ですよ」
 彼は謙遜して言った。
「じゃあ、今日は栄養つけないとね」
 人のいいOがニコニコと笑う。
 誰も受験生が試験直前に酒を食らっていいのかという事については突っ込まなかった。
 そんな野暮をしたらこの会がお開きになってしまう。
 正直、Kはあまり気乗りしないようだったが、臨時家主のJの手前、あまり我が儘を言えないのだろう。最初のビールを飲み干した頃にはKも諦めてこの飲み会を楽しむことにしたようだった。
「生モノは怖いから、鍋と焼き物にしよう」
 慎重派のSが手書きのメニューを繰りながら僕たちに言った。
「よし、さつま揚げ、ホッケ、シシャモは頼もう。あとはなんにしようか」
「焼き鳥の盛り合わせがあるよ」
 とJ。
「採用」
「鍋があるじゃん」
 Oが次のページを指差して言った。
「鍋ならコスパ高いよ」
「うむ。採用しよう」
 Sが頷く。彼の衛生観念は高い。彼が大丈夫というのなら大丈夫なはずだ。
「そうだな。じゃあ、寄せ鍋でももらおうか、人数分……しかしやっすいなー、鍋二人前五八〇円ってこれマジか?」
「日本酒ももらおうよ。安いよ、一合百八十円だって」
「じゃあ、とりあえず二合?」
「いやあ、ひとり一合でよくね? どうせ飲むでしょ」
 とJ。
「じゃあ五合ね。一升瓶もあるよ」
 つまらなそうに伝票に注文を書きつけるオバさんが僕たちに呟く。
「いやあ、それはいいや」
 注文を取りに来ていたオバさんが帰ったところで僕は周囲を見回した。
 煤けたお店に集うお客の平均年齢は高い。明らかに僕たちが一番の若手だ。隣は顔を赤くしたサラリーマン風のおじさんたち、向こうにはもっと歳の行った老人のテーブルもある。
「君たち、学生さん?」
 早速、隣のサラリーマン風のおじさんたちが話しかけてきた。この手の店にありがちな光景だ。
「はあ」
「どこの大学? 僕たちはね、A大学の職員なんだよ」
「僕たちは三鷹の方の大学です」
「ああ、K大かあ。あそこからここに来る子は珍しいねえ。ここはいいお店だよ」
「はあ」
 気のない返事を返す。
「まあ、徐々に身体を慣らすんだね。すぐに慣れるよ」
 慣れる? どういう意味なんだろう。
 ホッケは良く火が通っていて美味しかった。さつま揚げはスーパーで売っている物の方が美味しいかも知れない。味の素が多すぎて少し舌が痺れる。シシャモは身が痩せていてまるでメザシのようだった。
 だが、アルコールさえあれば問題なし。僕たちのテンションは徐々に上がり、気づいたときには隣のおじさんたちと一緒に飲んでいた。
「やあ、君たち通だなあ。鍋か」
 店のおばさんが持ってきたカセットコンロとペコペコに薄い鍋を見ながら、A大学のおじさんたちは僕たちの背中を叩いた。
「寄せ鍋だったらおじさんたちがいいものをあげるよ。これ入れると良い出汁が出るよ」
 丸顔のおじさんはニコニコと笑いながら刺身の皿を僕たちに差し出した。
 皿の上には伊勢海老の頭が一つ。身は食べてしまったようで頭と尻尾の一部しか残っていない。
「もったいないからねえ。鍋に入れて煮るといいよ。汚れてないから大丈夫」
「ありがとうございまーす」
 すでに相当飲んで判断力が怪しくなっていた僕たちは、迷わず海老の頭を鍋に入れた。
「あ、そうだ」
 隣の細いおじさんはカバンをゴソゴソ探ると四角い箱を取り出した。
「これ、今日の作業で出た弁当なんだけどね、今日は寒かったしまだ大丈夫だと思うんだ。後で雑炊にするといいよ」
「ありがとーござまーす」
 僕たちは白米の詰まった折も受け取った。
「うーん、なんか物足りないんだよなあ」
 鶏肉と野菜、それに真っ赤な海老の頭が揺れる鍋を味見してOが首をかしげた。
「なんだろうなあ」
「あー」
 その時、メニューを眺めていたKが大声を上げた。
「Oさん、牡蠣あるじゃないですか。鍋に入れましょう」
「だって、これ酢牡蠣だよ」
 と慎重派のS。
「お酢は捨てちゃえばいいんですよ。俺、牡蠣好きなんですよ」
「じゃあ、頼もうか」
「それじゃあさあ」
 Oはメニューを指さした。
「白子も入れよう。白子最高だよ」
 何がなんだかわからなくなってきた。
 さっきまで寄せ鍋だったものには海老の頭が生え、元酢牡蠣と白子も入っている。元々の主役だった豚コマと鶏肉は片隅に押しやられている。これじゃあ闇鍋だ。
「面倒だからご飯も入れちゃえ」
「あ、馬鹿ッ」
 止めるまもなく、Jは梅干ごとおじさんにもらったご飯を鍋の上にぶちまけた。
「あーあ、鍋が雑炊になっちゃったよ」
「あはは、学生さんは豪快でいいね。じゃあお先に」
 A大のおじさん達はそんな僕たちの様子を目を細めて眺めながら席を立った。
「ありがとうございました」
 礼儀は大切だ。僕たちはわざわざ立ち上がるとおじさんたちに最敬礼した。
「気をつけて食べるんだよ」
 少し心もとない足取りでおじさんたちは階段を降りていった。

 ここから先はカオスだった。
 卵はなかったものの、雑炊は美味しかった。さすが海老の王。伊勢海老の出汁は伊達じゃない。ほどよく火の通った牡蠣や白子もいい仕事をしていたと思う。
 気が付けばひと皿六八〇円の河豚刺しをJが食べていたし、記憶は曖昧だったが〆鯖も食べた気がする。
 閉店になって店を追い出されたときは夜二時を回っていた。
「全部で八千九百円ね」
 出口でオバさんが俺たちに言う。
 手元がおぼつかないためとりあえずOに会計を任せると、僕たちはふらふらと自転車を漕いでJの下宿に雪崩込んだ。
 翌日、僕の部の部室で会計をした。今日会計をしないと家賃を払えないとOに泣きつかれたのだ。
「ひとり千五百円ちょいか、あれだけ食べてこれは安いなあ」
「また行こう」
 まだアルコールの残っている脳みそで昨日の楽しかった思い出を反芻する。
「K君はどうしてる?」
 僕はJに尋ねた。
「楽しかったみたいだよ。リフレッシュできたから、上智は行ける気がするって言ってた。今はなんか単語とか見直してるみたい」
「そうか、それは良かったね」
 そしてそのまた翌日、僕たちは全員発症した。

+ + +

 牡蠣の食中毒は激甚だ。アナフィラキシーショックを起こして亡くなる人もいると聞く。
 翌日目覚めた時、明らかに僕は死にかけていた。
 胃がまるで、ダリの描いた時計のように背骨にまとわりついている。
 当時ドラクエをクリアするために僕の実家に泊まり込んでいた友人のMに頼んで、僕は体温計を居間から持ってきてもらった。
 おぼつかない手つきで水銀体温計のケースを開き、脇の下に挟む。
 四十.八度。
 水銀柱があっというまに駆け上がる。信じられなかったので二度測ってみたが、体温は一緒だった。
「おまえさあ、変なもの食っただろ。食中毒って一日置いて来るんだよ。翌日は大丈夫なんだけど、翌々日には菌が大繁殖してえらいことになるんだ。病院、行くか?」
「いや、大丈夫。ポカリで凌ぐ」
 友人が死にかけているのにも関わらず、相変わらず復活の呪文をメモしたり地図を書いたり忙しくしているMの背中に声を掛ける。
「まあ、気が変わったら言ってくれや。背負ってやる」
 僕は廊下に置かれた電話まで這っていくと、三回失敗してからSに電話した。
 十回以上待ってからSが電話口に出る。声に生気がない。
『…………やあ』
「……生きてる?」
『死んでる。なにを食べても吐くな、これ』
「下は?」
『爆発』
「水、摂ったほうがいいぞ」
『……コーラ、飲んでる。振ってから。コーラ、さすがだ』
「そうか、健闘を祈る」
『お前も』
 僕は電話を切った。
 何が当たったのだろう。酢牡蠣か? 白子? 思えばおじさんがくれた白米も怪しい。それを言ったら海老の頭も相当だ。海老の食中毒も激甚だと聞いたことがある。
 考えれば考えるほど、何もかもが怪しい。
 しばらく涼しい廊下で原因を考えていたが、結局考えてもしょうがないという結論に達し、僕は再び寝室に這い戻った。
「病院、行くか?」
 Mが相変わらず画面を見ながら僕に言う。
「いや、たぶん、大丈夫。寝る」
「そうか。洗面器、いるか?」
「いる。お袋に頼んでおいてくれ」
「わかった」
 僕はようやくの思いでベッドに這い上がると、目を閉じた。
 そのまま、僕は一週間完全に死亡した。

 当然のことながら、K君は上智大学に落ちた。

2015年6月6日土曜日

コーシャーとイスラエル人

 前回、イスラエル人は食に関して極めて保守的だと書いたが、これは半分正しくて半分間違っている。
 イスラエルは一九四八年に建国された、ユダヤ人の国だ。
 当時ここにはパレスティナの人たちがたくさん住んでいたのだが、建国するために世界中からユダヤ人が大挙して押し寄せた。そのために色々といざこざが起きて今に至るのが中東世界の状況なのだが(実際、パレスティナの人達からしてみれば、いまさら二千年前の事を言われても困るだろう)、それについては特に触れない。
 イスラエルは文化的には極めてコスモポリタンな国だ。すでに他の国に生活基盤のある人たちが移民として集まったため、各国の文化が入り乱れている。リアッドによればイスラエルに住んでいる人たちが移民前に住んでいた国の数は三十カ国を超えるという。
 ただし共通点が一つ。ユダヤ人の定義が『ユダヤ教を信仰しているか、母親がユダヤ人であること』であるため、イスラエルに住む人の多くはユダヤ教徒なのだ。
 従って、ユダヤ教の戒律の影響は無視できない。特に食べ物絡みの戒律(コーシャー)は複雑なので、宗教的に雑食性の日本人からすると当惑することが多い。
 ついでに言うとイスラエルの週のお休みは金曜日と土曜日だ。日曜日は普通に出勤する。さらに一年は九月から始まる。近代社会においてグレゴリオ暦にここまで従わない国も珍しい。
 リアッドが日本に出張してきた際、僕たちは彼女にコーシャーについて聞いてみた。
 彼女は超大型の偏食女王だ。
 基本的な夕食はマクドナルド⇒ピザハット⇒ケンタッキーフライドチキンのローテーションだ。マクドナルドはバーガーキングに置き換え可能ではあるのだが、ともあれこれを延々と繰り返す。
 加熱されていない物はそれがたとえ罪のない野菜だとしても決して食べない。サラダはもちろん、刺身なんてもってのほかだ。かろうじて他に食べられるものは炭化する直前まで焼いた焼肉とベリーウェルダンのステーキ、それに乾いたスナック菓子くらい。
 もっとも、これはリアッドに限らない。イスラエル人にはどうも偏食の人が多い。エランというエンジニアの傾向は概ねリアッドと同じ、アミールというアーキテクトは鳩のような豆ばっかりの食事を好む。なんでも食べる敬虔さにかける人もいるがそうした人は少数派だ。
 僕たちは彼女たちの激しい偏食をもっぱらコーシャーの影響だと思っていた。
「コーシャーって、何を食べてはいけないの?」
 オーダーしたランチを待ちながら、僕は彼女に訊ねた。
「んー」
 リアッドは考え込んだ。
「基本的には、かわいそうなものはダメなの」
 かわいそう? よく判らん。
 その日のランチは日本の事務所の連中と一緒にリアッドと食べることになっていた。
 海外からのビジターは厚遇されなければならない。
 それが会社のポリシーだ。
 従って、ビジターと一緒に食べたランチは会社の経費につけることができる。これはチャンスだ。
 だがリアッドの場合、高いランチを食べる口実としてはかなり不適切だった。
 丸の内のランチはバラエティ豊かだが、リアッドにとっては宝の持ち腐れだ。
 僕たちはもう少し素敵なランチを食べたかったのだが、おそらく手の込んだ食事は彼女の口に合わない。というか食べられない。
 マクドナルドは最後の砦だ。来日二日目で切るカードではない。まだあと十日もある。
「どういう事?」
 リアッドと仲の良いテストマネージャーが彼女に尋ねる。
「例えば、親子でお料理になっちゃだめなの。鶏と卵を一緒に調理するとか、牛肉とクリームを合わせるとか」
「じゃあ親子丼なんてもってのほかじゃん。宗教犯罪だ」
「クリームも駄目なのか。ビーフと乳製品のコンビネーションって全滅なの?」
「そう。かわいそうだから」
 リアッドが重々しく頷く。
「じゃあちらし寿司もダメだね。イクラとサーモンが入ってたら一発でアウトだ」
 みんなで目を丸くする。
「でも牛乳って牛の子供じゃないじゃん」
 隣に座っていたプリセールスエンジニアが反駁する。
「あれは、仔牛を育てるための牛の母乳だ」
「でも、仔牛の食べ物を人間が食べちゃったらかわいそうでしょ?」
 リアッドはしれっと言った。
「チーズバーガーも駄目?」
「駄目。チーズは牛乳からできてるから」
「バターも?」
「牛と一緒に使うのは駄目。鶏なら大丈夫」
「他には?」
「鱗がない魚もだめ」
「じゃあ、鰻もダメか。蒲焼美味しいのに。俺のひつまぶしが……」
 プリセールスエンジニアが呻いた。こいつ、リアッドにかこつけて会社の金で鰻を食べようとしていたのか。
「海老や貝もだめ。鱗がないから」
「要するに変わったものは全部駄目なのね」
「虫もダメ」
「あ、それは俺もだめ。バッタは無理」
 アホで名を売るFAEが余計なことを言う。
「まあ、虫はいいとして、それじゃあ何も食べられないね」
 僕はリアッドに言った。
「そうでもないわよ。ピザは大好き。チーズ抜きのマルゲリータとか」
「それってトマトソースだけじゃん」
「パスタも食べるわよ。ペペロンチーノとか」
「そうか、じゃあ明日は有楽町のスパゲッティ屋さんにしよう」
 僕たちはリアッドの偏食にほとほと困り果てていた。今日のお店を決める際も三十分以上かかっている。何も食べられないからお店を選ぶのが大変なのだ。
 明日の予定が決まるのは大変に喜ばしい。
 やがてランチが運ばれてきた。
 熱く熱せられたステーキ皿の上でプレーンなハンバーグが音をじゅーじゅーと音を立てている。申し合わせた訳ではなかったが、全員がハンバーグかハンバーグのコンボだった。ステーキを除けば、これが店では一番高い。
「お肉はいいの?」
 リアッドの前に運ばれるハンバーグを見ながら、テストマネージャーはリアッドに訊ねた。
「お肉は特別な方法で清めないといけないの。血を食べてはいけないから、お塩で血抜きをするの。私は血抜きは気にしないけど。ちゃんと焼いてさえあれば大丈夫」
 妙にここだけユルい。
 リアッドのハンバーグはスペシャルオーダーだ。面倒くさそうにするウェイターを説得して、ソース抜きのハンバーグを塩コショウで焼いてくれと特別にお願いしていた。
 ところがリアッドはそんな苦労の結晶のハンバーグを黙って見つめたままだ。
 リアッドの目の前に置かれた楕円形の黒い鉄の皿から白い湯気が立ち上っている。みるからに美味しそうだ。ソースぬきだけど。
 やがて、リアッドは弱々しく首を振った。
「駄目、これは食べられない。汚染されてる」
「汚染されてる? コーシャー的に?」
 穏やかではない言葉に、隣に座ったテストマネージャーがリアッドに尋ねる。
「ほら、ここ」
 リアッドは気味悪そうにハンバーグの付け合せをナイフで指し示した。
 付け合せは人参のグラッセと大ぶりのフライドポテトだ。それになぜかクレソンがひと枝。
「どっちもちゃんと火が通ってるよ」
 試しに人参を食べながら、テストマネージャーがリアッドに言う。
「違うの。人参がハンバーグに触っちゃってる。これ、汚染されちゃってる」
「まさか、人参と牛肉の組み合わせもダメなのか? 馬ならともかく、牛は人参食べないぞ」
「違うの。私、人参嫌いなの」
「はあっ?」
 全員が一斉にリアッドの顔を見た。
「人参、嫌いなの」
 リアッドはもう一度繰り返した。
「人参が触っちゃったハンバーグは穢れてるわ」
「そんなアホな」
「だって、人参が移っちゃうじゃない」
「伝染るって、人参は菌じゃないし、ハンバーグに何が染み込むっていうのさ」
「人参」
「訳が判らん」
 その後聞いたところでは、彼女の偏食はコーシャーによるところよりは家庭環境によるところが多いのだという事がわかった。嫌いなものを徹底的に食べないでいるうちに、偏食になってしまったのだという。
 いままで散々苦労したリアッドの偏食が、まさかこんなくだらない理由だったとは。
「でもいいの。私はポテトとご飯にする。みんなは楽しんで」
 リアッドは美人だ。イタリアを歩いていれば、街行く野郎どもの十人中五、六人は確実に声をかけるだろう。現に彼女の今の彼氏はイタリア人だ。
 大人になってからもその美貌にモノを言わせて嫌いなものを食べないでいるうちに、こんなことになってしまったらしい。
「イスラエルはね、子供をとっても大切にするの。だから子供が嫌がるものは無理に食べさせないの。ママは私が食べないものは絶対に作らないの」
 フライドポテトを齧り、塩と胡椒を振った白米を食べながらリアッドは言った。
「じゃあひょっとして、エランが肉しか食べないのも、そういうこと?」
 僕は恐る恐る訊ねた。
 リアッドがそうなのだとしたら、他にもまだたくさんそんな奴がいる気がする。
「たぶん、そう」
「オフィールがトマト食べないのも、それ?」
「うーん。オフィールは判らないけど、私はトマトは食べるわよ」
「…………」
 コーシャー、関係ないじゃん。
「まだ国が小さいから、子供は大切なのよ。人口増やさないといけないから。四人以上子供がいると、国から補助が受けられるのよ」
 どことなく冷たい空気を感じ取ったのか、リアッドが言葉を重ねる。
 子供を大切にするのと、甘やかすのは少々違う。
 白けた気分のまま、僕たちはその日の昼食を終わらせた。
 翌日から僕たちは、リアッドの事をまったく勘案せずに行きたい店に行くようになった。

イスラエルのテンプラ

 世界的に日本料理が人気だ。
 いつもきな臭いニュースしか日本では紹介されないイスラエルでもそれは例外ではなく、日本食レストランはいつも人で溢れている。
 数年前の夏、僕は仕事でイスラエルを訪れていた。仕事と言ってもなんのことはない、そのとき勤めていた会社の本社がイスラエルにあった、ただそれだけの事なのだけど。
 その日は仕事仲間のリアッドがイスラエルの庶民生活を見せてくれるということで、テル・アビブから車で1時間ほどの、アシュドッドという港町にある彼女の実家に同僚と二人で遊びに来ていた。
 ここはガザから近いため、ミサイルやらロケットやら何やらがたまに飛んでくる物騒な地域だ。
「危なくないの?」
 僕は彼女に訊ねた。
「んー、危ないと言えば危ないわねえ。たまになんか飛んでくるし」
「飛んでくるって、ロケット?」
「そう。でもめったに当たるもんじゃないから大丈夫」
「めったに当たらない、たって、当たったら死んじゃう、よねえ」
「そうね。でも当たらないから」
 どうして当たらないって思えるのだろう。
 紛争地帯の人たちは逞しい。
 彼女のおうちの防爆シェルター(すべての家には装備が義務付けられている。但し、リアッドの家のシェルターは扉が閉まらなかった)やら化学兵器に汚染された空気を浄化するという触れ込みのフィルターやらを見せてもらった後、ご飯でも食べて帰りましょうかということになった。
 僕達の泊まっていたテルアビブはガザから遠いこともあって、さすがにミサイルが飛んでくるということはない(らしい)。
 街の治安もとても良くて、夜に女性が一人で歩いていても、中心街であれば襲われる恐れはほとんどない。腰のホルスターに銃が入っていたり、アサルトライフルを抱えている兵隊さんがやけに沢山歩いている事が多少気にかかるとはいえ、ロサンジェルスか、もう少し安全なサンフランシスコくらいには安全な街だ。
 だが、アシュドッドは違う。
 ガザから近いし、港町のためか、アシュドッドは空気感からしてが明らかに異なっていた。
 どこか荒んだ雰囲気の、工場街のような灰色の街。街行く人もなんとなく厳つい。太い腕を誇示するような服装をしている男性が妙に多い。
 よく見てみれば兵隊さんの数もテルアビブよりも多い、ような気がする。
 リアッドが選んだのは、この街でも最高にクールだという、バーとフードコートを足して三で割ったような雰囲気のお店だった。
 店の中がよく見える、吹き抜けになったテラスのような二階の席に案内される。
「ここはね、日本食が有名なの」
「日本食?」
 とても、そうは見えない。一階はまるでダンスフロアのようだし、実際に踊っている年老いた夫婦もいる。寿司ネタを入れるガラスケースも見当たらないし、ウェイターはみんなポロシャツだ。
 席に着くなりすぐに現れたアラビア系の浅黒いウェイターは僕たちにメニューを渡すと、
『何にするんでい』
 という雰囲気で両腕を組んだ。
 ダークアンドハンサムというのはこういうのを言うのだろう。イスラエルの中東系の人はみんなハンサムだ。
 これで機嫌が良さそうならもっといいのだが。
 黒いメニューを開くと、確かに日本食のメニューが並んでいる。しかし……
 テンプラ、スブタ、テリヤキ、カラアゲ、ギョウザ、エダマメ、スシ。
 どうやら日本食というよりはアジアン・フュージョンのようだ。
 日本人二人とイスラエル人一人で何を食べるか相談する。
 港が近いとは言え、あまり新鮮な魚介類のあるような店にはとても思えなかった。メニューにはオイスターもあったが、それがさらに恐怖を煽る。
 どう考えても寿司は恐ろしい。ミサイルではない、もっと微細な何かに当たってしまいそうな気がする。
「じゃあサラダにはエダマメを貰いますか」
 一緒にいたもうひとりの日本人がエダマメを頼む。
「じゃあ、メインにはテンプラとカラアゲを」
 と僕。
「ギョウザも人数分」
 リアッドがどうしても食べたいというのでギョウザも追加する。
 イスラエルのディナーは盛りが殺人的だ。なにしろ一人前のステーキが並で五百グラムもある国だ。
 これでも多すぎるような気がする。
 まあ、食べきれなければ残せばいいか。アメリカやイスラエルにおいて、モッタイナイは死の呪文だ。
「イスラエルでも日本食が流行ってるって、面白いな」
 食べ物が運ばれてくるあいだ、漫然と周囲を見ながら雑談する。
 確かにおしゃれな店のようだ。造作はともかく、客の服が総じてファッショナブルだ。
 ブラックライトの光る日本食料理店というのもすごいコンセプトだが、アメリカにも似たようなスシバーはある。
「昔は中華料理屋さんだったんだけど、みんなお寿司屋さんになっちゃったのよ」
 リアッドは笑って言った。
「テルアビブにはもう中華料理屋さんは一軒しかないの。この街の中華料理屋さんはなくなっちゃった」
「潰れたの?」
「このお店に改装になったの」
「……あ、そう」
 どんなものが出てくるか、怪しくなってきた。
 やがて運ばれてきた枝豆は冷凍ではないフレッシュなもの、餃子は揚がっていたが、味はなかなかだった。ちゃんと牛肉(一部の人を除き、イスラエルでは豚肉は禁忌だ)とニンニクの味がする。醤油やラー油がないのでケチャップをつけて食べるのだが、それはそれで悪くない。
 唐揚げはでかかった。ひとつずつが大人の拳ほどもある。これが六個。
 じゃあ、天ぷらはどうなっちゃうのだろうかと思ってワクワクして待っていると、ようやく最後の皿が運ばれてきた。想像通りに大きい。
 これは期待できる。
 小さな海老なら天ぷらの量はたた事ではないだろう。天つゆがないにしても、塩で食べれば乗り切れる。
 正直、僕たちは日本料理に飢えていた。
 寿司屋に行けば赤や緑の謎のソースがかかった揚げ太巻きが出てくるし、イスラエルの人たちが常食しているのはヒヨコ豆のペーストと薄いパンだ。サラダを頼めばキュウリとトマトの微塵切り(イスラエルサラダというらしい)が出てくるし、肉は串に刺さったバーベキュー。イスラエルの料理は日本人に極めて厳しい。
 生姜があるのは確認済みだ。生姜をおろして持ってきてほしいとお願いするのはさほど難しいことではない。いっそ、僕がおろしてもいい。
 大きい海老ならそれはそれで楽しめそうだ。一つずつ食べるのは面倒だから、ナイフを貰って切り刻むか。少々風情がないが、それはそれで悪くない。さっき醤油はないと不機嫌なウェイターは言っていたが、奴はあまり信用がならない。いまどき、醤油がない国がこの地球上にあるとはとても思えない。
 さっき届いた隣のテーブルの大きなフライドフィッシュは色よく揚がっていて、遠目に見ても美味しそうだった。ナイフもフォークも使わずに手づかみで食べる様子(フランスのマナーブックにも魚は手づかみで食べても良いと書いてあるので、どうやらマナー違反ではないようだ)にはびっくりしたが、あんなに大きな魚を美味しく揚げられるのであれば、恐らく天ぷらもカリカリプリプリだろう。
 イスラエル人のフライ技術はそれなりに高い。
 だが、皿がテーブルに到着するなり僕たちは絶句した。
 大皿に盛られていた料理は、酢豚だった。
「どうぞ、お楽しみ下さい」
 トレイを抱えて帰ろうとするウェイターを呼び止め、慌てて苦情申し立てをする。
「おい、これは天ぷらじゃない。オーダーミスだ」
 最初ウェイターはぎょっとした顔をしたが、僕たちのテーブルに置かれた酢豚を見てすぐにこう言い放った。
「いいえ、これがお客様のオーダーした品物です」
「いや、これは酢豚というものだ。中華料理だ。日本料理ですらない」
「いえ、テンプラでございます。お客様」
「これはポークを揚げて、甘酸っぱいソースを絡めたものだ。だから酢豚っていうんだ。スは日本語で酸っぱいって意味、ブタっていうのは日本語でポークのことだ」
 しかし、ウェイターは譲らない。
「テンプラが日本料理かどうかなんて俺は知らねーけどさ」
 ウェイターの口調がぞんざいになってきた。
「ともあれ、これがテンプラだ」
「ふざけんな。テンプラっていうものは揚げ物だぞ。これは揚がってすらいないじゃないか」
「知んねーけど、イスラエルではこれがテンプラだよ、お客さん」
 捨て台詞を放つと、ウェイターは僕たちに背を向けた。
 そのまま不愉快そうに立ち去っていく。
 これが、天ぷら?
 僕は絶望的な気分で湯気の立つ酢豚を見つめた。
 じゃあ、イスラエルのスブタはどうなるんだ? まさかエビに衣をつけて揚げたものが出てくるのだろうか?
 面白そうだったから試してみたくなったが、食べきれる気がしなかったのでそれは諦めた。
 正面ではリアッドと日本人の同僚が腹を抱えて笑っている。
「これだけ英語で渡り合えるんだったら、世界中のどこででも喧嘩できますね」
 同僚は慰めるかのように僕に言った。
 慰めだったのは、酢豚の味はマトモだったことだ。パイナップルまで入った酢豚は、確かに日本風のスブタだった。玉ねぎはシャキシャキしていて、甘酢あんは酸味と甘みのバランスがちょうど良い。イスラエルの人たちは食べ物に関して保守的なので、妙な食材が使われている様子もない。キュウリが入っているところまで忠実だ。
 結局僕たちは、文句を言いつつもイスラエル風テンプラという名の酢豚を完食した。

追記:
その後、ガザの紛争が激化した際に、ついにリアッドたちの住むアパートにもロケットが命中した。
小さなロケットだったので誰も負傷するようなことはなかったのだが、アパートは住めなくなったらしい。