2015年6月6日土曜日

イスラエルのテンプラ

 世界的に日本料理が人気だ。
 いつもきな臭いニュースしか日本では紹介されないイスラエルでもそれは例外ではなく、日本食レストランはいつも人で溢れている。
 数年前の夏、僕は仕事でイスラエルを訪れていた。仕事と言ってもなんのことはない、そのとき勤めていた会社の本社がイスラエルにあった、ただそれだけの事なのだけど。
 その日は仕事仲間のリアッドがイスラエルの庶民生活を見せてくれるということで、テル・アビブから車で1時間ほどの、アシュドッドという港町にある彼女の実家に同僚と二人で遊びに来ていた。
 ここはガザから近いため、ミサイルやらロケットやら何やらがたまに飛んでくる物騒な地域だ。
「危なくないの?」
 僕は彼女に訊ねた。
「んー、危ないと言えば危ないわねえ。たまになんか飛んでくるし」
「飛んでくるって、ロケット?」
「そう。でもめったに当たるもんじゃないから大丈夫」
「めったに当たらない、たって、当たったら死んじゃう、よねえ」
「そうね。でも当たらないから」
 どうして当たらないって思えるのだろう。
 紛争地帯の人たちは逞しい。
 彼女のおうちの防爆シェルター(すべての家には装備が義務付けられている。但し、リアッドの家のシェルターは扉が閉まらなかった)やら化学兵器に汚染された空気を浄化するという触れ込みのフィルターやらを見せてもらった後、ご飯でも食べて帰りましょうかということになった。
 僕達の泊まっていたテルアビブはガザから遠いこともあって、さすがにミサイルが飛んでくるということはない(らしい)。
 街の治安もとても良くて、夜に女性が一人で歩いていても、中心街であれば襲われる恐れはほとんどない。腰のホルスターに銃が入っていたり、アサルトライフルを抱えている兵隊さんがやけに沢山歩いている事が多少気にかかるとはいえ、ロサンジェルスか、もう少し安全なサンフランシスコくらいには安全な街だ。
 だが、アシュドッドは違う。
 ガザから近いし、港町のためか、アシュドッドは空気感からしてが明らかに異なっていた。
 どこか荒んだ雰囲気の、工場街のような灰色の街。街行く人もなんとなく厳つい。太い腕を誇示するような服装をしている男性が妙に多い。
 よく見てみれば兵隊さんの数もテルアビブよりも多い、ような気がする。
 リアッドが選んだのは、この街でも最高にクールだという、バーとフードコートを足して三で割ったような雰囲気のお店だった。
 店の中がよく見える、吹き抜けになったテラスのような二階の席に案内される。
「ここはね、日本食が有名なの」
「日本食?」
 とても、そうは見えない。一階はまるでダンスフロアのようだし、実際に踊っている年老いた夫婦もいる。寿司ネタを入れるガラスケースも見当たらないし、ウェイターはみんなポロシャツだ。
 席に着くなりすぐに現れたアラビア系の浅黒いウェイターは僕たちにメニューを渡すと、
『何にするんでい』
 という雰囲気で両腕を組んだ。
 ダークアンドハンサムというのはこういうのを言うのだろう。イスラエルの中東系の人はみんなハンサムだ。
 これで機嫌が良さそうならもっといいのだが。
 黒いメニューを開くと、確かに日本食のメニューが並んでいる。しかし……
 テンプラ、スブタ、テリヤキ、カラアゲ、ギョウザ、エダマメ、スシ。
 どうやら日本食というよりはアジアン・フュージョンのようだ。
 日本人二人とイスラエル人一人で何を食べるか相談する。
 港が近いとは言え、あまり新鮮な魚介類のあるような店にはとても思えなかった。メニューにはオイスターもあったが、それがさらに恐怖を煽る。
 どう考えても寿司は恐ろしい。ミサイルではない、もっと微細な何かに当たってしまいそうな気がする。
「じゃあサラダにはエダマメを貰いますか」
 一緒にいたもうひとりの日本人がエダマメを頼む。
「じゃあ、メインにはテンプラとカラアゲを」
 と僕。
「ギョウザも人数分」
 リアッドがどうしても食べたいというのでギョウザも追加する。
 イスラエルのディナーは盛りが殺人的だ。なにしろ一人前のステーキが並で五百グラムもある国だ。
 これでも多すぎるような気がする。
 まあ、食べきれなければ残せばいいか。アメリカやイスラエルにおいて、モッタイナイは死の呪文だ。
「イスラエルでも日本食が流行ってるって、面白いな」
 食べ物が運ばれてくるあいだ、漫然と周囲を見ながら雑談する。
 確かにおしゃれな店のようだ。造作はともかく、客の服が総じてファッショナブルだ。
 ブラックライトの光る日本食料理店というのもすごいコンセプトだが、アメリカにも似たようなスシバーはある。
「昔は中華料理屋さんだったんだけど、みんなお寿司屋さんになっちゃったのよ」
 リアッドは笑って言った。
「テルアビブにはもう中華料理屋さんは一軒しかないの。この街の中華料理屋さんはなくなっちゃった」
「潰れたの?」
「このお店に改装になったの」
「……あ、そう」
 どんなものが出てくるか、怪しくなってきた。
 やがて運ばれてきた枝豆は冷凍ではないフレッシュなもの、餃子は揚がっていたが、味はなかなかだった。ちゃんと牛肉(一部の人を除き、イスラエルでは豚肉は禁忌だ)とニンニクの味がする。醤油やラー油がないのでケチャップをつけて食べるのだが、それはそれで悪くない。
 唐揚げはでかかった。ひとつずつが大人の拳ほどもある。これが六個。
 じゃあ、天ぷらはどうなっちゃうのだろうかと思ってワクワクして待っていると、ようやく最後の皿が運ばれてきた。想像通りに大きい。
 これは期待できる。
 小さな海老なら天ぷらの量はたた事ではないだろう。天つゆがないにしても、塩で食べれば乗り切れる。
 正直、僕たちは日本料理に飢えていた。
 寿司屋に行けば赤や緑の謎のソースがかかった揚げ太巻きが出てくるし、イスラエルの人たちが常食しているのはヒヨコ豆のペーストと薄いパンだ。サラダを頼めばキュウリとトマトの微塵切り(イスラエルサラダというらしい)が出てくるし、肉は串に刺さったバーベキュー。イスラエルの料理は日本人に極めて厳しい。
 生姜があるのは確認済みだ。生姜をおろして持ってきてほしいとお願いするのはさほど難しいことではない。いっそ、僕がおろしてもいい。
 大きい海老ならそれはそれで楽しめそうだ。一つずつ食べるのは面倒だから、ナイフを貰って切り刻むか。少々風情がないが、それはそれで悪くない。さっき醤油はないと不機嫌なウェイターは言っていたが、奴はあまり信用がならない。いまどき、醤油がない国がこの地球上にあるとはとても思えない。
 さっき届いた隣のテーブルの大きなフライドフィッシュは色よく揚がっていて、遠目に見ても美味しそうだった。ナイフもフォークも使わずに手づかみで食べる様子(フランスのマナーブックにも魚は手づかみで食べても良いと書いてあるので、どうやらマナー違反ではないようだ)にはびっくりしたが、あんなに大きな魚を美味しく揚げられるのであれば、恐らく天ぷらもカリカリプリプリだろう。
 イスラエル人のフライ技術はそれなりに高い。
 だが、皿がテーブルに到着するなり僕たちは絶句した。
 大皿に盛られていた料理は、酢豚だった。
「どうぞ、お楽しみ下さい」
 トレイを抱えて帰ろうとするウェイターを呼び止め、慌てて苦情申し立てをする。
「おい、これは天ぷらじゃない。オーダーミスだ」
 最初ウェイターはぎょっとした顔をしたが、僕たちのテーブルに置かれた酢豚を見てすぐにこう言い放った。
「いいえ、これがお客様のオーダーした品物です」
「いや、これは酢豚というものだ。中華料理だ。日本料理ですらない」
「いえ、テンプラでございます。お客様」
「これはポークを揚げて、甘酸っぱいソースを絡めたものだ。だから酢豚っていうんだ。スは日本語で酸っぱいって意味、ブタっていうのは日本語でポークのことだ」
 しかし、ウェイターは譲らない。
「テンプラが日本料理かどうかなんて俺は知らねーけどさ」
 ウェイターの口調がぞんざいになってきた。
「ともあれ、これがテンプラだ」
「ふざけんな。テンプラっていうものは揚げ物だぞ。これは揚がってすらいないじゃないか」
「知んねーけど、イスラエルではこれがテンプラだよ、お客さん」
 捨て台詞を放つと、ウェイターは僕たちに背を向けた。
 そのまま不愉快そうに立ち去っていく。
 これが、天ぷら?
 僕は絶望的な気分で湯気の立つ酢豚を見つめた。
 じゃあ、イスラエルのスブタはどうなるんだ? まさかエビに衣をつけて揚げたものが出てくるのだろうか?
 面白そうだったから試してみたくなったが、食べきれる気がしなかったのでそれは諦めた。
 正面ではリアッドと日本人の同僚が腹を抱えて笑っている。
「これだけ英語で渡り合えるんだったら、世界中のどこででも喧嘩できますね」
 同僚は慰めるかのように僕に言った。
 慰めだったのは、酢豚の味はマトモだったことだ。パイナップルまで入った酢豚は、確かに日本風のスブタだった。玉ねぎはシャキシャキしていて、甘酢あんは酸味と甘みのバランスがちょうど良い。イスラエルの人たちは食べ物に関して保守的なので、妙な食材が使われている様子もない。キュウリが入っているところまで忠実だ。
 結局僕たちは、文句を言いつつもイスラエル風テンプラという名の酢豚を完食した。

追記:
その後、ガザの紛争が激化した際に、ついにリアッドたちの住むアパートにもロケットが命中した。
小さなロケットだったので誰も負傷するようなことはなかったのだが、アパートは住めなくなったらしい。

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